「不登校は私にとって必要なことだった」 そう語る教え子の言葉をすべての人に伝えたい【西岡正樹】
人生という道で迷った時に思い出してほしいこと
◾️2人の男子は共闘し、結果的に「いじめ」へと繋がっていった
しばらくすると、ミキに対して「怒り」を抱いていた2人の男子は共闘し、その思いをミキにぶつけてくるようになった。そのことが結果的に「いじめ」へと繋がっていったのだ。教室や廊下で2人とすれ違った時など、すれ違いざまに「FUCK」「キモッ」と言われることなどは度々で、ある日、特別教室から帰ってくると、まさに2人が自分の椅子を蹴飛ばしているところだった。その時には、心が破裂しそうになった。
嫌がらせが始まった当初から、こうなった原因が自分にあると分かっていたが、どうすることもできない。執拗な男子2人の攻撃的言動を受けているうちに、ミキの心は尋常ではいられなくなり、ミキは2人に恐怖心を抱くようになった。自分から謝らなくてはいけないという思いを当初は持っていたが、ただただ怖くて、話しかける勇気も普通に会話できる自信もなかった。「謝ろう」という気持ちもいつの間にかなくなり、2人から何をされるか分からないという「恐怖」がミキの心の中を支配していたのだ。
中学3年生のミキは、この二つの出来事の他にも「部活のストレス」や「高校入試が始まるプレッシャー」を少なからず感じ続けていた。「部活のストレス」は毎日家に持ち帰り、いら立ちを家族の中でも隠さなかった。それらの出来事に加え、2年生の終わりごろから体調不良(体の急激な成長に伴って起こることがある)に度々陥っていた。
このような状況が続く中で、徐々に、自分の身体が思うように動かなくなり、何事にも集中できず、意欲もわかない。ミキは、投げやりになっていく自分を感じていたのだが、自分ではどうしていいか分からない。そして、とうとう体も心も動かなくなり、ミキは学校に行くのをやめた。
ミキは、体や心が動かなくなるまで、その変調を誰にも相談しなかった。ミキには少なからずプライドがあった。部活や教室の中でいつも中心的な存在でいたし、自分の弱みを誰にも見せたくなかった。知られたくなかったのだ。
ミキは当時のことを振り返って、次のように語っている。
ミキ:「学校に行かなくなった時は、ここ(家)にいれば何もされない、嫌なこともないし危険にさらされることもないんだ、って思いました。とても居心地が良かったんです。でも、学校に行かなくなった当初、お母さんから『今日は学校に行かないの』と訊かれるのが嫌でしたね。ほっといてほしかった。朝、しばらくして家に誰もいなくなると安心しました。それでも、「安心」はずっとは続かないんです。私はこのまま学校に行かなくなるのかなという「不安」もまた次第に生まれてくるようになりました。不安になるけど、学校には行けないんです」
私:「学校に行かなくちゃ、と思うことはあったの」
ミキ:「ありましたよ。でも、私はこれまでずっと『~しなきゃ』という思いに囚われ、その思いに従って動いてきました。それは他人(ひと)の期待に応えようという表れです。それが学校に行かなくなったことで、その足かせが外れたんです。『自分はこれをしなきゃダメなんだ』ということから逃げたから、『学校に行こう』という気持ちもそれ以上大きくなりませんでした」
私:「自分の気持ちに正直になれたんだ」
ミキ:「自分にとって『不登校』は必要なことだったんです。今ではそう思っています」
ミキは、そう断言した。小学生のころから、自分が「~しなきゃ」に囚われ、常に周りの目を気にしながら動いてきたミキ。しかし、自分がその期待に応えられなくなった時、自分でどうしていいか分からなくなってしまった。だから、あの時は、そんな自分から一旦離れることが必要だったと、不登校から十数年経って思えるようになったのだ。
今でも時々、自分が「~しなきゃ」に襲われることがあって、息苦しくなることがあるミキなのだが、その都度、自分は何がしたいのかを自分に問いかけて行動するようにしている。大学を卒業する時も、自分が何をしたいのかまだ決められずにいたが、周りに流されずに自分のことは自分でしっかりと決めてから行動した。それでも、自分で納得できないことが多くなってその仕事を辞めたが、今ではどんなに遠回りしてもいいから、自分のやりたいことを見つけ、それに向かって進んでいこうと思っている。
ミキは、まだ明確な道を見つけられず、どの道を進んでいいか分からず迷っている。それでも、「焦ってはいけない。前に進めなかったら止まればいい」と今は思える。無理に進めばさらに迷うばかりだ。中学生の時の「不登校」も、ただ止まって自分が動き出せる時まで待っていた。